現代の日本では高齢社会が進んでおり、2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になると言われています。認知症になると、色々なことが分からなくなったり、ひとが変わってしまったかのような言動がみられることもあるでしょう。そんなとき、家族や介護者は、どうやって支えていけばいいのか不安を感じる場面もあるはずです。
しかし、認知症とは全てを忘れてしまったのではなく「自分のことをうまく表現できなくなった」という捉え方のほうが正しいかもしれません。相手のことを理解しながらケアしていけば、より良い支援につながります。
今回は、認知症ケアの1つである「パーソン・センタード・ケア」について解説していきます。これは、認知症をもつ方を一人の人間として尊重し、その人の立場に立ってケアを行います。
この記事が、認知症をもつ方に対するケアについて考え、寄り添った温かいケアを実践できるきっかけとなればと思います。
目次
パーソン・センタード・ケアとは?
パーソン・センタード・ケアは、1980年代のイギリスで心理学者のトム・キットウッド氏により提唱された認知症ケアの考え方です。この頃のイギリスでは、認知症高齢者は「何もわからない人」「奇妙な行動をする人」と捉えられていました。
介護現場では、相手の立場や気持ちを考えることもなく、一律決まった時間に決まった生活を行うようにサービスが提供されていました。当時トム・キットウッド氏は自ら施設に出向き、そこにいる認知症高齢者を膨大な時間をかけて観察しました。
そこで、
「彼らの生い立ちや価値観、今までの生活習慣などを考慮し、それぞれに見合ったケアを行うことで、認知症の症状の回復をもたらし、本来の姿を取り戻せるのではないか」
と考えました。
認知症になると何も分からないわけではなく、記憶が断片的に失われているだけで、人としての意識や感情は残されています。その意識や感情を重んじるケアとして「パーソン・センタード・ケア」という考え方が提唱されました。
パーソン・センタード・ケアの考え方
パーソン・センタード・ケアが目指すのは、言葉通り「その人を中心としたケアを行うこと」です。介護者都合のケアではなく、常に認知症の方の立場で考えることが求められます。
認知症をもつ方は、自己表現がうまくできないことが多いです。そのため、気持ちや意思を伝えられず、一人の人として尊重されないことに不満や悲しみを抱きがちです。
その状態が継続すると、心理的に「怒り」→「あきらめ」→「無気力」という悪い流れになり、認知症の悪化につながると考えられています。トム・キットウッド氏は、実際に少しでも「パーソン・センタード・ケア」を実践すると、驚くほど認知症の回復が見られたと提言しました。
認知症の方の声に耳を傾け、一人の人として尊重するケアは、認知症の回復をもたらし、その方本来の姿を引きだします。
パーソン・センタード・ケアで核となる心理的な「5つの要素」
パーソン・センタード・ケアを実践するためには、認知症の方が「何を必要としているのか」という「心理的ニーズ」を理解することが重要です。
トム・キットウッド氏は、認知症の方の持っている「心理的ニーズ」を理解する上で、一人の人間として尊重する「愛」を中心にし、「自分らしさ」「結びつき」「携わること」「共にあること」「くつろぎ」という5つの要素が重要であると考えました。そして、それを「花の絵」で表現しました。
これらの要素は、認知症の方だけでなく、すべての人がもつニーズでもあります。ニーズが満たされていくと「周囲の人に尊重されて愛情を感じ、心理的に落ち着いている良い状態になる」と考えられています。
逆に、このような心理的ニーズが満たされていないと、無気力や暴言・暴力など、様々なネガティブな行動があらわれます。
認知症の方が「自分らしくいたい」「周囲との結びつきを感じたい」など、自らの意思を明確に表現することは難しいかもしれません。しかし、介護者がこれらのニーズを理解し尊重すれば、パーソン・センタード・ケアが実践できるでしょう。
ここからは、5つの心理的要素を、一つずつ詳しく解説します。
自分らしさ
認知症の方は、記憶が断片的なため「自分らしさ」という感覚が失われやすいです。自分が自分であるという感覚が失われることは、生きる意欲を失うことにもつながります。
だからこそ、その方の途切れがちな過去と現在をつなぐサポートをし、周囲の人によって「自分らしくありたい」というニーズを満たしていくことが大切です。
そのためには、過去の写真を活用するのもおすすめです。その方にとって輝いていたときの写真や、家族との思い出の写真を、いつも目に入るところに飾ったり、アルバムにまとめます。
すると、過去の自分を思い出しやすくなり、現在の自分とのつながりを認識することができます。
結びつき
わたしたちは誰しも、人や社会と関わり合い、支え合いながら生きています。それは認知症になっても変わることはありません。
むしろ認知症の方は結びつきを、より必要としているかもしれません。記憶が断片的になると、記憶に残っている慣れ親しんだ人や物とのつながりで安心することができます。
例えば、昔からの友人に会ったり、愛着のあるものを身のまわりに置くことで、心理的に安心します。認知症の方が、これまで大切にしてきたものを尊重することがポイントです。
携わること
これは、何らかの社会活動にたずさわりたいというニーズです。「人のために何かをしたい」という思いから現れる行動を支えましょう。
例えば、歩行が不安定な方が、誰かのために椅子を運んでいるという場面があったとします。介護者としては、転倒のリスクもあるため、止めに入ったり危険行為として捉えることがあるかもしれません。
しかし、その方の「何かをしたい」という気持ちの表れだとしたら、単純に制止するだけではそのニーズを断ち切ることになります。一方的に解釈せず「何か力になりたいんだな」と理解してから関わることが大切です。
共にあること
周囲から排除されず、人や社会のつながりの中で生きていることを実感したいというニーズです。「認知症の人は何もわかっていない」という周囲の思い込みから、このニーズが満たされていないことがあります。
訴えを軽く流したり、嘘をついたりごまかしたりすることは、社会で共生したいというニーズを無視し、その方を深く傷つけてしまう可能性もあります。認知症の方を、一人の人間であると認識した上で関わることが大事です。
普段、認知症の方に関する質問を「本人は分からないだろうから」と、本人には尋ねずに家族にのみ投げかけることはありませんか?
これも、本人を無視していることになり、傷つけているかもしれません。認知症の方から明確な返答がなくても、会話の中で言葉をかけたりアイコンタクトをとって、自分も関わっていると実感できることを増やしましょう。
くつろぎ
生活する上で、身体的な痛みや苦痛がないことも大切です。認知症の方は、様々な要因によって、不安や不快感に悩まされています。
例えば「座りっぱなしでお尻が痛い」「知らないスタッフに介助される」「部屋が寒すぎる」などにより、落ち着かない気持ちになることが考えられます。介護者は、環境に気を配って落ち着く空間を提供し、身体的な不調がないか確認するなどして、心身がリラックスできるように心がけましょう。
認知症を理解する5つの要素
認知症の方の言動は、脳の障害だけで起こっているわけではありません。認知症の原因となる疾患だけでなく、他の要因との相互作用で起こります。
ここからは認知症の要因となる「5つの要素」を紹介します。認知症の方の気になる言動には、様々な要素が関連しています。相手を理解する手がかりになりますので、それぞれ確認していきましょう。
脳の障害
脳の障害レベルは、認知症の原因疾患により異なります。例えばアルツハイマー型認知症の場合は、中核症状として主に記憶障害や見当識障害がみられます。
それに対して血管性認知症では、実行機能障害が多く、記憶障害についてはアルツハイマー病より軽いことが多いです。
疾患の特徴を理解することは、症状への理解につながります。同じ環境でも、症状に違いが見られた場合は、脳の障害以外の要素が関係している可能性も考えられます。
身体の状態
パーソン・センタード・ケアでは、認知症の方をより健康な状態に保つことを重視しています。なぜなら、健康状態は認知症による言動に大きな影響を及ぼすからです。
認知症になると、苦痛や不快感などを自覚したり、体調の変化を言葉で表現することが難しくなります。認知症の方の、いつもとは違う言動の裏には、思わぬ病気や体調不良などが隠されていることが多いです。
実際に「いつもより発語が少ないな」「普段は食事を残さないのに、今日は進まないな」と感じたあとに、発熱などの体調不良が発覚することも多くあります。小さな変化にも気づけるように、普段から気を配りましょう。
生活歴
本人が今までにどのような経験をしてきたか、何をするのが好きだったのかによって、物事の捉え方や考え方は異なります。これまで歩んできた人生は、認知症になっても変わりません。その方の過去を知ることは、相手を理解する重要な手がかりになります。
例えば、夕方になると帰宅願望が強くなる方には「子どもが帰ってくるから夕食の支度をしないと」という、献身的な母親だった過去があるかもしれません。その方の「家族構成」「職業」「住んでいた地域」「趣味」「習慣」などを知ると、現在の生活とのズレに気がつくことができますし、普段の言動とつながる部分が見つかるでしょう。
性格・行動パターン
パーソン・センタード・ケアでは、一人の人間として性格の傾向を理解し、それぞれの傾向にあわせたケアやサポートが必要です。性格といっても「社交的」「内向的」「好奇心旺盛」「慎重」「人に頼りたい」「人の世話になりたくない」「気が短い」「気が長い」「神経質」「おおざっぱ」など様々です。
性格や傾向を無視した関わりは、相手の混乱を招き、症状を悪化させてしまうおそれがあります。例えば、人づきあいが苦手で内向的な方を、無理に大勢の場でのイベントに連れ出すと、叫んだり暴れたりなどの激しい拒否がみられることがあります。
元来の性格や傾向を把握して、その方に合った対応をしましょう。
取り囲む環境・社会心理
認知症の方の言動には、周囲の環境も関連しています。周りの人々が、その方をどのような人であると認識しているか、どのように関わっているかが、その方の気力や感情などに大きな影響を与えます。
「認知症だから何もできない」と決めつけ、小さい子のように接したり、のけ者にしたり、嘘をついて誤魔化したりなどの関わりが続くと、本人も対抗する気力を失い、閉じこもってしまう可能性もあります。
認知症になっても、感情やプライドはしっかりと残っており、自分の扱われ方は敏感に感じとっています。ずっとぼんやりとしていたり、眠たそうにしているのは、もしかしたら周囲の人の接し方が影響しているかもしれません。
一人の人間として誠実に対応するようにしましょう。
認知症ケアの考え方で大切なこと
認知症になると色々なことを忘れがちで、進行すると一人での生活も難しくなり、周囲の助けが必要になります。そもそも認知症になったことで、不安に思ったり自尊心が傷ついている方もいるでしょう。
そのような方に対して、介護者が認知症について理解せず、否定したり怒ったりすると、本人にさらに精神的な負担をかけることになります。完治が難しい病気だからこそ、認知症の理解を深めてケアを行うことが重要です。
介護の現場では、たくさんの利用者をみなければいけないため、どうしても日々の業務に追われてしまいがちです。ですが、すべての利用者は尊重するべき一人の人間です。
認知症ケアにおいては、相手の考えを尊重し、相手の立場に立って考えることがとても大切です。
まとめ
今回は認知症ケアの1つ「パーソン・センタード・ケア」について解説しました。
パーソン・センタード・ケアは、決して難しい考え方ではなく、介護者の意識次第で実践できるケアです。
認知症の方と接していると、行動の意図がなかなか読み取れなかったり、時間に追われて一律的な対応になりがちです。しかし、相手を「一人の人」として関心を持って関わることで、認知症の方の行動の意味を考えられるようになります。そして、そのような姿勢も相手に伝わり、「尊重されている」と感じられ、心理的に満たされます。
パーソン・センタード・ケアを少しずつでも実践することで、認知症の方の理解とケアの助けになるはずです。
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この記事の執筆者 | 槇野りっか 保有資格: 看護師 急性期病院で看護師として2年勤務、その後特養で介護士として半年、看護師として5年勤務、介護業界で仕事をしてきました。 現在は介護・福祉系ライターとしても活動中。 |
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